永遠のブランド「シャネル」シャネルの歴史−3♪



    ◆ 時は前後しますが、1924年に戻り、このころはファッションアイテムにも

    注意が向けられ、模造宝石をつかったビジュ・ファンデジの発表、

    1932年本物のダイヤモンドを使ったハイ・ジュエリーラインの発表と、

    1939年に店舗を閉鎖した際も、アクセサリーラインを扱う店舗は残し、

    ファッションブランドアイテムにも勢力が注がれています。



    まさに、ココの全力疾走という感じですね。



    ところで、あの有名なフレグランスはどうなったのでしょか。



    1921年には、本店をカンボン通り31番地に移転しています。

    そして、いよいよです。調香師のエルネスト・ボーにより、

    例のシャネル初の香水「No.5」を同年の5月5日に発売完成となりました。

    数字の「5」に縁起を担いで発売をこの日にしたと言われています。

    「No.5」の名前は試作品番号から取られたと言われていますね。









    そして、かの「マリリン・モンロー」がこのシャネルの「No.5」を

    こよなく愛したことについてはあまりにも有名過ぎます。





    そののち、1939年9月の、第二次世界大戦の勃発。

    香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖とあいなりました。


    ココはドイツによるフランス北部占領中を通じ

    ドイツ軍将校のヴァルター・シェレンベルクと愛人関係にあったため、

    1944年の連合国軍によるフランス解放後は

    「売国奴」として非難されスイスへの逃亡を余儀なくされています。





    ココ・シャネルは、すばらしい仕事をきちっとこなしながらも、

    人を愛することをけっして忘れない、その情念がすごすぎです。





    スイスでは1944年より10年間、晩年をレマン湖地方のローザンヌで過ごしたようです。

    そのレマン湖畔に佇むホテル、ボーリヴァージュ・パレスは、

    ココがローザンヌでの住まいとしたお気に入りのホテルだったようです。





    開放後、1954年になって閉鎖店舗が復活しました。

    カンボン通りの店を再開し、オートクチュール・コレクションも復活させています。



    晩年の彼女はどうだたのでしょうか。



    また、あらためて記したいと思っています。

    (今回は、かなりのぶぶんを「ウィキペディア」(cc)からいただきました。
    ありがとうございました。)







    ♪ No.1 シャネルの歴史−1

    ♪ No.2 シャネルの歴史−2

    ♪ No.3 シャネルの歴史−3







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